「泣いて馬謖を斬る」の意味

子ども向けの「三国志」を10巻まで読み終わり、名セリフの多さに唸りました。二度読みの手間も惜しく、インターネットで名セリフを検索したところ、主にビジネス関連で出てきました。


でも、なんかいまひとつ納得のいかないものばかりです。


例えば、「泣いて馬謖を斬る」というのは、有名な言葉です。軍師諸葛孔明の指示に従わず勝手な行いをして、自軍に多大な損害を与えた馬謖ですが、孔明の秘蔵っ子であり、お気に入りでした。しかし、それでも「どんなに優秀な者であっても、法や規律を曲げて責任を不問にすることがあってはいけない」ため内心では涙を流していたが、あえて処罰したというものです。


現在日本ではこの意味で使われていて、歴史書である三国志「正史」の記述に則したものだそうです。一方、物語である三国志演義では、何故泣くのかを蔣琬に訊かれた諸葛亮は「馬謖のために泣いたのではない」と答えているのです。諸葛亮は劉備に「馬謖を重く用いてはならない」という言葉を遺されていたにも拘らず、その言葉を守らなかった自分の不明を嘆き、泣いたとされています。


全く違いますね。


歴史書が正しく、フィクションが間違っているともいえません。歴史書は後世の者が己の正しさを主張するために書いているものでもあるからです。仮構の中に真実があることもあるのです。


三国志はオリジナルを基に多くの作家が独自の解釈で書いています。私が読んだ子ども向けは演義の解釈でした。
おそらく、孔明は自分の非を悔やんだこともそうですが、劉備の遺言に加えて、馬謖の登用に反対した者も多くいた中で、あえて馬謖にやらせて、大失敗だったので、自分の立場上ああするしかなかったのだとも思います。失敗に対して、必ずしも処罰で応じなければならないわけではなく、三国志では、あの冷酷な乱世の奸雄曹操でさえも、失敗を次回の成功で盛り返させるというやり方をしています。(もちろん即刻処刑も多いのですが…)
天才軍師諸葛孔明の人間としての一面を見るようで興味深いです。
日本ではもっぱら上司の公平さ、規律正しさを賛辞するものとなっていますね(笑)

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