差別の心は誰もが持っています。静岡県知事だけじゃなくてね。

静岡県知事が新人職員への訓示の際、他の職業(家畜の世話や野菜販売など)を引き合いに出し、県庁職員の仕事はそういうのとは違って頭を使う知的な仕事であると言って大問題となり知事は辞職しました。


知的な仕事のトップとしては知的とは言い難い…
職業差別であるとして許しがたい!!という声が多く、知事はそんなつもりはなかったと一応は弁解していたが、心で思っていることがつい口をついて出てしまったという点で、これまでの政治家などの失言と同様であり、口は禍の元だなと、他人事でなく思う。


差別感情は誰もが持っているものであり、公務員はおそらく民間に対して見下す気持ちが多少なりともあるように思う。また、国家公民は地方公務員を、県公務員は市町村公務員を見下している部分もあるのではないか?国会議員は地方議員を、県議員は市町村議員を…


差別の心をまったく持っていない人などいない。差別の対象は千差万別。静岡県知事の場合は畜産農業従事者であり、それが露見してしまっただけ。


あの人たぶん、知事という仕事に誇りを持っていて、部下である職員も同じように県職員としての自負を持ってもらいたいと思ったのだと思う。だけど、あの人の自負は比較対象となる劣る職業があってはじめて保たれるものだったみたい。県知事以上のものになりたかったのだと思う。だから県知事という仕事に誇りを持つには劣るとみなすものを並べないとやってられなかたのかも…
誰かと比較しないと自分の優位性が保持できない。あの人のプライドは常に、自分が劣ると考えているものに支えられている。だから、劣るとみなしたものに対しては傲慢な態度が出て、自分より勝るとみなすものに対しては卑屈になる。
仏法の教えでいうところの「修羅」である。


自分と他者を比較して常に他者に勝ろうとするのが修羅の特徴。他人と自分を比べて、自分が優れ他人が劣っていると思う場合は、慢心を起こして他者を軽んじる。他者のほうが優れていると思う場合には、尊敬の心が起きず、卑屈になってへつらう。自分を優れたものに見せようとして虚像を作るため、表面上は謙虚なそぶりで、人格者や善人に見えないこともないが、その内面は自分より優れたものに対する妬みと悔しさに満ちている。


ご愁傷様です。


社労士myoumyoう

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